車輪の下を読んで

「そうか、つまり君はそういうやつなんだな」

 

この文句を聞いて、国語の教科書を音読していた少年だった日の思い出が頭に浮かぶ、私と同年代の人も多いだろう。今回はヘルマン・ヘッセの代表作の1つ、「車輪の下」を読んだ。

 

私たちはいつから野原で遊ぶことをやめたのだろう。いつブランコに揺られる楽しさを忘れてしまったのだろう。いつから夏の暑さを嫌い、降雪を疎むようになってしまったのだろう。

物語の主人公、ハンスは小さな町で生まれた。彼は聡明でかつ努力家であり、その少年期を勉強に費やすことで神学校へ二番の成績で入学した。入学後も努力を続けたハンスだったが、友人の影響や心身の成長につれ学校になじめなくなり退学してしまう。実家に帰り、見習い工として働き始めるが、昔は軽蔑していた同級生たちが自分より先輩になってしまったこと、昔の血のにじむような努力が水泡に帰したことに絶望してしまう。

 

物語を通して、ヘッセは鮮やかな情景描写を何度となく用いていた。それはハンスが幼き日にみた生命あふれる鮮やかな自然であった。暗く沈んでしまったハンスの心情とは対照的に、木々は変わらず鮮やかな色彩を見せ、小川は清く流れている。

 

ハンスほど秀才ではないが、夢破れ、自分の能力に限界を感じたり、不可能なことにぶち当たってどうにもならない事がある人も多いと思う。そんなときは純粋だった幼い頃の頃を思い出してほしい。風車が回るだけでさえずっと眺めていた頃、雨が降ればお気に入りの長靴を履いてかけだしていった頃、道ばたの花に心奪われていた頃。大人となり、心身ともに成長したが、変わらずにあるものもある。心が疲れてしまったときには一度立ち止まってそれらを感じてみるのも良いかもしれない。

 

桜が散り始め、残念に思っている人も多いと思う、しかし、桜が散れば若葉が生えてくる。力強い生命が感じられる季節となった。普段の通学路にも心が動かされる”種”はそこかしこに転がっている。

 

 

車輪の下 (新潮文庫)

車輪の下 (新潮文庫)